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東日本大震災 被災地で パンを焼き続けたパン職人  ~震災から約4年、『当時と今』~

2015年03月11日

東日本大震災 被災地で パンを焼き続けたパン職人

~震災から約4年、『当時と今』~パルティール オーナー 只野 実さん



神奈川県のパン屋さんから「被災地である南相馬市で、ご自身も被災者でありながらパンを焼き続け、被災者を勇気づけたパン屋さんがある」という情報提供があった。編集部はそのパン屋さんである『パルティール』のオーナー只野 実さんに話を聞いて来た。


 

パン職人のDNAと繋がり


 14時46分、激しい揺れで只野さんはお店の駐車場に飛び出した。震度4程度の大きな余震が30分程度続き、パルティールの目の前にある小学校のグラウンドには、校舎から生徒が避難していた。暫くすると津波警報が鳴り、目の前の道路を車が埋め尽くした。しばらく鳴り止まない救急車やパトカーのサイレンが異質な非日常へと足を踏み入れたことを実感させたが、当時は不思議と冷静な自分がいて、デジカメで状況を撮影していたという。中でも歩道橋から全体を見渡そうと海の方に目をやった時の空が目に焼き付いているそうだ。今まで見た事の無い黒く不気味な色は、今思えば、津波によって巻上った砂埃等が原因だったのではないかと。




出典:ウィキペディア 東日本大震災(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD)


 TVで震災について情報収拾していると、市から「お店にあるパンを全部下さい。」と連絡があり、この電話を機に只野さんは11日から15日まで毎日パンを千個焼き続けた。しかし福島第一原子力発電所の爆発により、避難命令が通達された。

 避難する時に、水道も電気も遮断されている仙台に住む妹と連絡を取り、暖をとれるように灯油のストーブを届け、それから娘の住む会津若松に避難した只野さん。しばらく避難生活を送っていると一本の電話がなった。知り合いの議員からで、「支援があることは有り難いことなんだけど、避難所にいる人は袋売りのパンに飽きている。只野さん、南相馬に戻って地元の皆に温かいパンを届けてよ!」と。皆が焼きたてのパンを求めていると知った途端に、パンを焼いてそれを食べて笑顔になってもらいたいというパン職人のDNAがそうさせるのか、いても経ってもいられなくなったという。毎日放射線量の数値で現状を報告する事を条件に、行かないでと懇願する娘を説得し29日に南相馬に戻り営業を再開。


 もちろん、電気が通電していて、水の検査も問題なかったので営業を再開したが、問屋さんが機能しているはずもなく、まず小麦粉が無くなった。隣の相馬市にある粉屋に小麦粉を取りに行ったが、物流が麻痺していたので何度か繰り返すと、粉屋の在庫も無くなる事態に陥った。しかしこの時、インターネットの凄さ、人の繋がりに驚く出来事があった。その内容とは、この事態がインターネットで配信されたことにより、日清製粉から小麦粉が10袋、一般の方からも1kgの砂糖がパルティールに届いたことだ。非日常下ではあったが、インターネットでこういう繋がりが持てることが嬉しく、ほっこりした気持ちになったと同時に、多くの人に支えられている事に感動したという。

 その後、徐々に物流が回復し、同年のクリスマスまでの7ヶ月間、毎日千個のパンを焼き上げて、4カ所の避難所に朝6時までに納品。年末になるに連れて仮設住宅の建設も進み、避難所を離れる人も多くなっていった為、納めるパンの量も年末にかけて徐々に減っていったとは言えど、離れ業だ。「当時を思い出すと最初は千個焼き上げることは大変だったのですが、パン職人って慣れるもので、だんだんこなせるようになっていくものなんですね(笑)」と只野さん。店舗では、少しでも気が休まる憩いの場所になればと、店舗の中にイートインスペースをつくり、新聞を置き、コーヒーを無料で提供して被災者に憩いの場を



只野 実さん 福島県南相馬市でベーカリー「パルティール」を経営


 

風化させてはいけない



編集部は最後に南相馬の現状とパン業界にメッセージをと只野さんにお願いした。
「今の南相馬は除染作業員が増え、震災前と比べて治安が悪くなったように感じています。物は揃いましたが、そういう面で震災前の生活環境は取り戻せていません。今もまだ、海沿いには瓦礫が手つかずのままで、津波の爪痕が残っています。現在、南相馬市の放射能は0.1マイクロシーベルト/時で安全な範囲。今年の3月には常磐道が開通しますから、南相馬に足を運んでいただき、ご自身の目で現状を見て感じて、自分の中に何かを残していただければと思います。最後になりますが、原発はなくすべきです。」



『ベーカリーパートナー 15号より』