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プチ・アンジュ 津金 一城シェフ

ベーカリーパートナー38号シェフインタビュー

様々な業種を経験し自分自身を知りました

私の父親は東京都府中市で、ポワラーヌ昭盛堂という地元に密着したパン屋さんを経営していました。両親はいつもお店のことで忙しく、そんな二人の背中を見て育った私の夢はサラリーマンになることでした。親となかなか触れあえず、いつも寂しい思いをしていましたから、仕事とプライベートは分けて生きていきたいと思ったんです。高校卒業後は、「早く働きたい」との想いから自動車の営業会社に就職しました。幸か不幸か、その会社での私の営業成績は良く、褒められることも多くありました。それで、つい自惚れてしまったんです。苦労もせず、世の中を甘く見ていました。
自動車営業の仕事に慣れ始めた頃、母親から「父が病気になった」という連絡が入りました。加えて「お店をたたむことは問題ないけれど、あんたの気持ちを聞きたい」と言われ、今後のお店の経営を委ねられました。幼い頃からすぐそばにあったお店がなくなってしまうことはとても悲しいことのように思いましたし、パン屋の仕事も上手くできるだろうという根拠のない自信もありました。母親からの相談に後押しされるように、私は仕事を辞め、パンの道へと進むことを決めました。今思えば「家業を継ぐためだから仕方ない」ということを建前に、甘えのような形でパン業界に入ってしまったように思います。


フランスパンとの出会いが人生を変えました

高等学校の機械科を卒業してからは設計業務をする会社に就職をしましたが、流れのままに就いた仕事だったので、いつになってもやりがいを見いだすことができませんでした。ドンクのことを知ったのは、そんな現状を打破したいと今後の人生について考えていた頃でした。1968年に、平凡社から発売されていた雑誌「太陽」で、ドンクのフランスパンが紹介されている記事を読んだんです。当時はフランスパンが日本に入ってきたばかりで、世の中は空前のフランスパンブームでした。それまでフランスパンというものに触れたことがなかった私は、その誌面がとても印象に残りました。その後、1969年に地元である横浜・元町にポンパドウルが華々しくオープンした際、サイクリングのついでにカスクートを買いにいき、初めてフランスパンを食べました。1970年、23歳のときに5年間勤めていた会社を退職した際、ドンクの求人募集が目に留まり、面接を受けて入社へと繋がりました。

最初に配属されたのは、ドンク青山店フランスパン工場です。入社当時の体重は51㎏しかなかったので、工場で1回に仕込む約85㎏のフランスパン生地をミキサーから上げるのはとても苦労しました。しかし夜間の勤務で出勤すると、お店で販売されていた残品が厨房に回ってくることが毎日のようにあり、そのペストリーやフランス菓子、パンなどを食べていたからか、どんどんと体重は増え10㎏程増加してしまいました。おかげで、生地を上げる力が付いたのはよかったですね(笑)。私が入社した年の大晦日には、未だ日本はフランスパンブーム真っ最中だったので約1トン(50㎏×20回)バタール換算で5000本を仕込み・焼き上げました。今では信じられない程の数ですね。

パンの世界は一筋縄ではいかないものでした

その後、父が病気から回復したため、私は実家のパン屋ではなく、当時フランスパンが注目され有名だった「ルノートル」で技術を学ぶことにしました。
世の中をなめていた部分が少なからずあった私は、パンの世界に飛び込んだ瞬間に打ちのめされました。先輩には一言も口を聞いてもらえず、技術を教えてもらうこともできません。窯の仕事を忙しくこなしている先輩を見ては「何か手伝うことはありませんか?」と声をかけ、「ない」と言われる日々を三ヶ月続けました。その先輩は仕事の出来る方だったので、どうしてもその先輩から教わりたかったんです。その先輩に認めてもらうことが私の最初の目標でした。
辞めたいと思う日もありましたが、このお店が特別厳しいわけではなく、どのお店に行っても同じなんだろうと思うことで踏ん張ることができました。今の時代では大問題になってしまうような、昔ながらの指導を受けたこともありますね(笑)。同僚から優しい言葉をかけられ、作業中に不意に涙してしまった時には、先輩に「そういう涙はトイレで流すものだ!」と叱られました。「パン業界とはなんと厳しい世界なんだ!」と思ったものです。そういう日々を超えていくうちに、物事に対してもっと真っ直ぐに考えないとだめだと思うようになりました。それは小手先ではなく、自分の出来ることひとつひとつに真摯に向き合い、積み上げていくことでしかこの世界で認められる方法はないということです。
単純かもしれませんが、私はまずパンについての本をたくさん読みました。パンの本というのはある程度の経験があれば内容がスッと頭に入ってくるものですが、全く経験がなかった私には本に書いてあることの意味を理解できないことも多くありました。それでも、頭に入れた知識を仕事の時に先輩に質問し、仕事への意欲を見せていくことで、徐々に仕事を教えてもらえるようになっていきました。
ルノートルを三年で退職し、その後、丸十製パンにお世話になりました。知人の誘いによりピザ屋の店長もしました。自分のお店を持つまでの道のりは長いものではありましたが、どの仕事も良い経験になったと思います。自動車の営業では人とのコミュニケーションを、ルノートルではパンの技術を、ピザ屋では店長としてお店経営の数値管理や販促費の考え方について学びました。今となってはどの仕事も自分自身を知るためと今後の自分に対して必要な仕事であったように思います。
修行時代にフランスパンを焼く技術を学んだので、自分のお店は「フランスパンが売れる店にしたい」との想いがありました。当時は、フランスパンは日常的に食べられるものでもありませんでしたので、まずはチーズやベーコンなど親しみやすい具材を練り込むことで買ってもらうことを目指しました。そうして美味しさを知ってもらうことで、だんだん普及していくはずだと考えたのです。売れ残ったチーズフランスはパンペルデュで使用できるので、値段は最大限に下げて販売しています。試行錯誤の繰り返しではありましたが、今ではそのチーズフランスがお店の人気ナンバー3に入る商品へと成長してくれました。

人材教育が良いパンに繋がります

パンをつくる時には、買ってくださるお客様のことをイメージしながらつくることが大切だと思います。私の役目は…………(続く)


プチ・アンジュ 国立店
●所在地:東京都国立市富士見台2-45-9
●立地:JR南武線「矢川駅」から徒歩で8分
●人口:国立市約7.5万
●開業年:2009年11月
●定休日:木曜日
●従業員:8人(販売1人・工場7人)
●営業面積:46坪(売場16坪・工場30坪)
●日商:平日40万円/土日祝70万円
●客単価:平日830円 / 土日祝1000円
●オーブン台数:3台(平窯6枚4段・コンベクション2枚差・ミニオーブン)
●ミキサー台数:3台
●パンの種類:80種類(生地10種類)


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