PAIN PATI 大泉 裕一シェフ
小さい頃から自分で取捨選択
小さいころは負けず嫌いで飽き性で生意気なわんぱく少年でした。1年生の時に4年生に生意気を言って可愛がってもらい、一緒に野球の遊びに入れてもらったりしていました。年上に上手くちょっかいを出すと相手にしてくれるということを知っていたんです。野球をやれば体格差もありますし、4年生より明らかに下手なのに、心の中では自分が一番上手で、一番足が早くて、一番大きなホームランが打てると強く信じていました。根拠のない自信で満ち溢れていましたね(笑)。
8歳から9歳ぐらいにかけて音楽に心を奪われ、レコードばかり聞いていました。幼いながらに鮮明に記憶しているのはビートルズのジョンレノンが暗殺された日のことで、どのテレビ局もこの話題で持ちきりだったんです。それを見て、ビートルズは世界的に凄い人なんだなぁと感じたのを覚えています。興味は音楽だけにとどまらず、服装にもこだわっていました。洋服も親から押し付けられるのを嫌い、自分の好きな服を選んで着ていました。マセガキでしたね(笑)。
母親が料理好きだったので美味しいご飯を食べて育ちました。なんでも手作りする母はラーメンすら出汁から作るほどでした。買ってくるパンはイギリス食パンでしたし、バゲットも普段から食卓に上がっており、食には恵まれていましたね。料理上手な母の味が基本になっていたので、失礼な話ですが、友達の家でご飯をご馳走になった時、あまり美味しいとは思えなかったんです。学校給食も同様に嫌いでした。特に当時のコッペパンがものすごく不味くて、6年間お昼の時間が苦痛でしたね。当時は午後の授業が始まろうと、給食を残している人は食器をそのままにされたのですが、不味いものは不味いと意思表示して、先生のプレッシャーに屈しませんでした。給食の味が美味しいものだと刷り込まれなくて良かったと今は考えています。あのコッペパンを何も感じずに普通に食べられるようになってしまってはどうかと思います。「全ての子供に給食を」という取組みはとても素晴らしいものですが、学校給食は子供達の味覚を均一化してしまう一面があると思います。
パンとの出会いは友達にハメられて
中学を卒業したものの、学校にはいきたくなかったし仕事もしたくなかった。そんな私を見かねた先生に夜間学校くらいは出ておけと強く勧められ夜間学校に行くことにしました。15歳の時に、同じクラスにパン工場で働いている一つ年上の同級生がいて、人がいないから「大泉来いよ!」と誘われ、軽い気持ちでそのパン工場に行ってみたんです。これがパンとの出会いでした。ただ、誘ってきたその同級生はそのままバックレ(笑)。きっと自分がやめるために私をにしたんですね。
与えられた仕事は窯でしたが、リテイルベーカリーのような窯担当ではなくトンネルオーブンを通しているだけでした。8時~17時まで働いてそのあと夜間学校に通っていたのですが、飽き性だった私には珍しく2年続けることができました。遅刻することもありましたが続けられた理由はパンの香りが好きだったからだと思います。また、仕事中は手を抜くことなく一生懸命取り組みましたから「ガキのくせによくやっている」と先輩から可愛がっていただき、スキー、バーベキュー、コンサートなど大人の遊びに連れて行ってもらったことも働くモチベーションになっていたと思います。
ただ、親戚や知り合いにパンをあげる時に、トンネルオーブンで焼き上げた食パンを手に、自分が焼いたパンだと胸を張って渡すことができず、モヤモヤした気持ちになったことも確かでした。そんなこともあって、いつかここを飛び出そうと考えるようになりました。
パン工場を辞めてデパートの食品売り場や警備員、ドカタ、宅急便、電気屋など仕事を転々としたのですが、「中村屋ファリーヌ」と出会った衝撃は忘れられません。種類が豊富でシュトロイゼルなど本格的なものまで幅広く取り揃えていて、とても魅惑的だったんです。
その当時「中村屋ファリーヌ」はスタッフ募集をしていなかったのですが、どうしても働きたかった私は面接をしてほしいと懇願し、契約社員として入社することができました。
最初に任された仕事は窯で3日目からは一人でやっていました。当時はタイマーでパンを焼き上げる概念が無く全て感覚。焦がしたら大目玉でしたね(笑)。入社してからは10か月で仕込み、麺台、フライヤー全てのポジションを修得。「中村屋ファリーヌ」は当時にしては珍しくバゲットを販売していましたから、その成形もこなせるようになりました。当時のパン職人の世界はどういうものだったかというと、同じ会社であってもレシピを教えてくれない時代で、私も自ら行くタイプでしたが先輩方も私が仕事を覚えれば早出が減るということで喜んで教えてくださいました。環境としては恵まれていましたね。
パンパティ アンソロジー
●所在地:東京都立川市栄町5-62-1
●立地:多摩モノレール「泉体育館駅」から徒歩15分
●人口:約17.9万人 ●開業年:2015年11月
●定休日:火曜日
●従業員:37人(販売17人・工場6人・サンド13人・カレー1人)
●営業面積:47坪(売場14坪・工場21坪・他12坪)
●日商:70万円
●客単価:950円
●オーブン台数:2台 ●ミキサー台数:2台
●パンの種類:約110種類(生地20種類)
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