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ぱんや徳之助 冨士屋 渋谷 則俊

 


経営危機とデイジイでの修行で見出したもの

ぱんや徳之助は2018年に新潟県新潟市西区にオープンした。お店にはクリームパンをはじめ美味しそうなパンが所狭しと並び、それを求める人々で客足が途絶えることはない。オーナーは新潟県の老舗ベーカリー冨士屋を継いだ3代目社長であり、2015年のiba cup(ドイツで開催されるパンの世界大会)にて優勝した経歴を持つ渋谷則俊さんだ。お店の様子や経歴から順風満帆にみえる渋谷さんだが、現在に至るまでには紆余曲折があったという。経営についてやぱんや徳之助のオープンについてなど幅広くお話を伺った。
渋谷さんのパン職人としてのスタートは冨士屋のアルバイト勤務からだった。もともとパン職人を目指していたわけではなく、パンづくりへの強い思い入れもなかったという。しかしパン屋の息子なのに何もできないと周囲に思われたのが悔しく、勉強して技術研修に参加しながら22歳で社員となった。それからパン職人としてのキャリアを積み、少しずつ経営に関わるようになって社長になったのが38歳だった。
渋谷さんが役員としてお店の経営に関わるようになった当時、冨士屋の経営状況は芳しくなかった。スーパーのインストアベーカリーなど多店舗展開していた冨士屋だったが、テナントの契約更新が難しく撤退する必要に迫られたり、近所に勢いのある個人のパン屋さんが増えたりと、複数の要因で売上が落ち、負債も多く抱え込んでいたという。改革の必要性を訴えても、古参の職人たちは渋谷さんの言葉に聞く耳を持たなかった。そんな状況の中、渋谷さんは履歴書を手に埼玉のあるお店に行き、勉強させてほしいと頭を下げた。その相手がデイジイの倉田博和さんだ。冨士屋の状況をありのままに伝えると、倉田さんは実際に新潟まで冨士屋の視察にやってきた。視察後、倉田さんが口にしたのは「店員の覇気がない、人員を入れ替える必要がある」という言葉だった。 冨士屋以外でのやり方を知らなかった渋谷さんは、その後デイジイで1年間修業することとなる。その際、衝撃を受けたのがひとまわり以上年下のスタッフが一日100万円以上販売する店舗の店長を任されていたことだ。とにかく周囲のレベルの高さに驚いたという渋谷さんは、修業を終え新潟に帰ったとき、改めて冨士屋の生ぬるさを実感したという。
変化するにも時間がかかるもので、10年程かけて冨士屋の意識改革をした。掃除の徹底、在庫管理、コスト意識など、それらを徹底する内に生ぬるい環境に慣れた古参職人が出ていき、新しい職人や若手が入って定着するようになり、経営危機を少しずつ脱していくようになった。さらに、落ちた売上を回復するために、お店の知名度を上げる必要性を感じ、iba cupなど数々のパンの大会に参加するようになったという。


パンの世界大会での学びと出会い

パンの世界大会であるiba cupは3年に1度ドイツで開催される。また、フランスではモンディアル・デュ・パンが2年に1度開催される。渋谷さんは8年ほどの間に、iba cupに2回、モンディアル・デュ・パンに1回と複数の大会にチャレンジしてきた。 大会にチャレンジしはじめた当初は…………(続く)



 

ぱんや徳之助

●所在地:新潟県新潟市新潟市西区新通南2-18-20
●立地:JR線「新潟大学前駅」から車で5分
●開業年:2018年
●定休日:水曜日(他不定休あり)
●従業員:13名(販売5名・製造8名)
●営業面積:60坪(売場15坪・イートインコーナー8.5坪・工場16坪)
●日商:平日40万円/休日70万円
●客単価:平日900円/1200円
●オーブン台数:4枚差し4段 1台・コンベクションオーブン 1台
●ミキサー台数:2台
●パンの種類:70種類


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