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仁瓶 利夫氏

ベーカリーパートナー37号シェフインタビュー

パンとは無縁の幼少時代、消去法で選んだ青年時代

私がインタビューを受ける際「なぜパンの道に進んだのですか?」とよく聞かれるのですが、それは「パンが好きだったから」や「手先が器用だったから」などの理由では一切ありません。幼い頃好きだったものといえば本を読むことと、自転車でサイクリングをすること、手先はむしろ不器用な方でした。学生時代は勉強が苦手だったので、とくに機械が好きということでもなかったのですが、高等学校は普通科ではなく、神奈川県の商工高等学校の機械科に進み、卒業後は家庭の経済的事情もあり大学への進学は選択しませんでした。このように、パンに出会うまでの私の人生は消去法で選んできたと言っても過言ではありません。

性格は、自分で決めたことは曲げない頑固な節もあったと思います。ドンクで働く前に勤めていた会社に「辞めたい」と申し出た時、それを止めようとして会社の課長が私の母に会いに来たのですが、母は「あの子は私が何を言っても聞きませんから」と言い放ったというエピソードもあるくらいです。休みの日ともなれば必ず大好きなサイクリングをしたり、パンとはまったくといってもいい程無縁に過ごしてきました。その私が、こうしてパンに携わり、生涯の生業としてパン職人を選ぶことになるとは自分でも想像もしていませんでした。人生とは面白いものですね。


フランスパンとの出会いが人生を変えました

高等学校の機械科を卒業してからは設計業務をする会社に就職をしましたが、流れのままに就いた仕事だったので、いつになってもやりがいを見いだすことができませんでした。ドンクのことを知ったのは、そんな現状を打破したいと今後の人生について考えていた頃でした。1968年に、平凡社から発売されていた雑誌「太陽」で、ドンクのフランスパンが紹介されている記事を読んだんです。当時はフランスパンが日本に入ってきたばかりで、世の中は空前のフランスパンブームでした。それまでフランスパンというものに触れたことがなかった私は、その誌面がとても印象に残りました。その後、1969年に地元である横浜・元町にポンパドウルが華々しくオープンした際、サイクリングのついでにカスクートを買いにいき、初めてフランスパンを食べました。1970年、23歳のときに5年間勤めていた会社を退職した際、ドンクの求人募集が目に留まり、面接を受けて入社へと繋がりました。

最初に配属されたのは、ドンク青山店フランスパン工場です。入社当時の体重は51㎏しかなかったので、工場で1回に仕込む約85㎏のフランスパン生地をミキサーから上げるのはとても苦労しました。しかし夜間の勤務で出勤すると、お店で販売されていた残品が厨房に回ってくることが毎日のようにあり、そのペストリーやフランス菓子、パンなどを食べていたからか、どんどんと体重は増え10㎏程増加してしまいました。おかげで、生地を上げる力が付いたのはよかったですね(笑)。私が入社した年の大晦日には、未だ日本はフランスパンブーム真っ最中だったので約1トン(50㎏×20回)バタール換算で5000本を仕込み・焼き上げました。今では信じられない程の数ですね。

出来ないことばかりで苦労したからこそ楽しかった

しかし、ドンクでの長い職人人生は、けして穏やかなものではありませんでした。入社から8カ月経った頃に、静岡西武店への異動通知がありました。静岡西武店の厨房は、フランスパンを焼くための機械しか設備されていなかったので、入社したばかりだった私は「私はまだフランスパンを焼くことができません」と申し出ましたが「半年間は店長教育の人間をつけるから大丈夫だ」と取り合ってもらえず異動を余儀なくされました。いざ静岡西武店に行ってみると、店長教育をしてくれる上司は反面教師になるような人でした。その上司が空手をやっていたので、私は力で負けないようにとケンカのやり方を教わるつもりで少林寺拳法に入門したくらいです。でも、そんな動機で入門した少林寺でしたが、いつしか虜になり、少林寺の教えは今でも私の精神を支えるものとなっていますのでこれもひとつの縁だったと思います。

その後、パン製造兼店長として銀座三越店に異動してからは、バックペインなど身体の不調があらわれました。医者から「過労」と診断されたことや、さまざまなことが重なり、パン職人としてやっていく自信をなくした私は退職願を提出したんです。しかしドンクの創設者である藤井幸男氏には説教され、提出した退職願は「預かり」とされてしまいました。その後は店長職から技術指導者的な仕事が中心となっていきました。その頃から私は社外に研賛する場を探すようになっていき、さらにパンについて深く知りたいと思うようになりました。

職人だから作れるパンを大切にしたい

私がパン・リュスティックとパン・ド・ロデヴの2つのパンに魅了されたのは…………(続く)


Archives du pain français(アルシーヴ デュ パン フランセ)
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