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いっぱいの人にいっぱいの感動を伝えちゃう男日本一!

Interview Close up 田島 浩太シェフ



パンとの出会いと楽しい修業時代

 

おじさんがパン職人で、18歳の時にそこでアルバイトとして数か月手伝ったことがパンとの出会いで、身近なところがきっかけでしたね。おじさんのお店のアルバイトを経て、18歳で柏の学校給食と駅前でのリテイルベーカリーを経営している小菅製パンさんで働きました。最初は工場に配属されてラインでパンを焼いていましたが、3~4か月経って会社全体を知りたくなり、工場での仕事も楽しかったのですがベーカリー部門に行きたいとお願いしました。移動が受け入れらてお店で働いてみてわかったことは、チームワークでお店を運営することも楽しいということ。当時の職場はベテランの職人が多く、中堅の若手職人さんが主で構成されていて私のような20代前半は稀でした。個性が強くにぎやかな雰囲気でしたね。計量を間違えて失敗したり塩を入れ忘れたりして皆に迷惑をかけたら、「夜飲みに行っておごる」という習慣がありました。「遅刻したら全員にジュース」というのもありましたね。それで許してやるという感じで後腐れもなく、私には合っていました。当時はそれすら面白いと捉えていましたし、パン屋さんの仕事は何をやっても新鮮で面白かったので、パン屋さんでやっていくんだという気持ちがこの時からありました。
 

ライバルも多く競争率が高かった2軒目の修業先


2軒目はブローニュ麹町木村屋さんでお世話になりました。ここは昔ながらのあんぱんを主体としたいわゆる日本のパンを製造していたのですが、フランスパンもラインナップに加え始め、5店舗程展開していました。工場も大きく若い人が多い職場のためまさに競争社会で、意欲的に仕事に取り組まないといけない風土でした。仕事は大きく【成形・麺台】、【窯(焼成)】、【仕込み】の3つに分かれていてこの順番でステップアップしていくのですが、先輩がいますから、そう簡単に出番が回ってきませんし、同年代にライバルもいるため、常に社内選抜が行われていました。本当に競争が激しい職場でしたね。
その当時、5店舗ある中で神楽坂の店舗は非常に厳しい指導が入ると評判のお店で移動希望を募っても誰も行かないという場所と聞いていたんです。そこで私は「行きます!」と名乗り出たわけで・・・・同期にも「なんでそんなところに行くの?こっちでみんなと楽しくやっていればいいのに」と言われたことを覚えています。実際移動してみるとそんなことはなく、順番待ちだった仕事をいろいろと経験することができました。まさに「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という体験でした。
 

ドンクさんではパンの本質と世界を知った


2年ほどブローニュ麹町木村屋さんでお世話になり、もっと本格的にパンの勉強がしたいと考え、ドンク柏店にアルバイトとして入社。その後、頑張りを評価していただきまして社員に切り替えていただきました。ドンクさんではフランスパンを中心とするパンづくりとパンの本質を学ばせていただき、自分の中でパン屋さんとしての領域が変わりました。社内講習会が多く、カルベル先生の指導に基づく伝統的なフランスパンの理論と製法を勉強させていただきました。また、柏店で一緒に仕事をしていたシモン・パスクローさんにはとても良くしていただいて・・・
 



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パン工房クーロンヌ 田島 浩太氏

1968年2月16日千葉県柏市生まれ。高校を卒業し、パン職人の道に。小菅製パン、ブローニュ麹町木村屋、どん区での修行を経て、26歳でここ取手市戸頭にクーロンヌを開業。その後、茨城県南地区を中心に店舗を展開し、ピッツェリアやペンションなどの事業も含め9店舗を経営。2010年にはパンの世界大会の一つであるモンディアル・デュ・パンの日本代表を決める審査員を務め、経営だけではなく、パンの技術も持ち合わせたシェフの一人。

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