職人でも真似できない仕事をすることが私の「モットー」

2011年01月01日

Interview
Close up La Baguette de Paris YOSHIKAWA
 吉川 崇 シェフ

 




 
職業問わず、プロフェッショナルな仕事をしてこそ「職人」。
その職人でも真似できない仕事をすることが私の「モットー」です。

 
18歳でパン業界へ
その第一歩は……
 
Qなぜパン業界に入られたのですか。
 
母が店長を任されていたパン屋さんで仕込みのアルバイトをしたのがきっかけです。そのとき私は17歳、高校生でした。毎日のように17時から21時まで、カスターを炊いたり、クッキー生地を仕込んだり、デニッシュの折り込みをしました。その他に洗い物や清掃をしていましたね。
 当時、1980年代後半は脱サラブームで「焼きたて」を打ち出せば、そこそこパンが売れて商売になる時代の様でした。私がアルバイトをした店も「焼きたて」をウリにしていたパン屋さんで、人は慢性的に不足していましたね。パート勤めの母が店長をしていたくらいですから。
 高校を卒業した私は、そのままアルバイト先のパン屋さんに就職しました。就職して半年、驚いたことに「もう一つのお店の店長が辞めるから、こっちの店を頼む」とオーナーに言われたんです。いくら人員不足とはいえ、まだパンの「パ」の字もわからない18歳の新入社員が満足にパンを焼けるはずもありません。しかもパンづくりのノウハウを教えてくれる人もいません。しかし、「何とかするしかない」という気持ちだけで、とにかくパンをつくり始めたんです。今振り返ると、ご飯も食べないで5時から23時までぶっ通し。作業が遅かったこともありますが、休憩時間を犠牲に仕事をこなしていたわけです。若さを言い訳にするわけではありませんが、そんな生活を送りながら、仕事が終わった後に友達と遊びに行っていました(笑)。19歳って、世間をわかっているように装いつつ、そういうことをしちゃう年頃じゃないですか。同年代の友達と私が遊べるのは夜中しかありませんから。1年間そんな生活をしていたら、さすがに身体を壊しました。しかも小麦アレルギーのおまけ付きです。1年勤めたその店を辞め、いったんパン業界から遠ざかりました。
 
 

 
 
自分が社長になれる仕事を
求め、再びパンの世界へ

Q他の業種に転職されたのですか?
 

ええ、塗料販売の会社に再就職して、19歳から23歳までそこで営業をやっていました。給与もまあまあ良かったし、仕事も順調でした。しかし、人生の転機は軌道に乗り始めたときにやってくるもので……。姉が離婚して実家に戻ってきたんです。将来、姉も養うことを含めた人生設計は、サラリーマンではおぼつかない。そこで自分と家族の将来について考え抜いた末に辿りついた答えは、「自分が社長になれる仕事をする」ということでした。
 再び仕事選びが始まりました。まずケーキ屋さんをあたりましたがご縁がなく、紆余曲折を経てパン屋さんへ。パン屋さんは体調を崩した経験があったので、仕事にすることには躊躇がありました。しかし逆に、この業界へ戻る背中を押したのもパン屋さんでの勤務経験です。夜遊びをやめた自分は、必ずオーナーシェフになるという強い決意もありました。
 最終的には、新聞折込みの求人チラシをきっかけにドミニックジュラン(ドンク)に入るのですが、正直「ドンク」という名前やパン業界での立ち位置も知りませんでした。ただ、しっかりとした会社でしたので、マスクやペーパータオルの使用を取り入れるなど衛生環境が整備されていて、小麦アレルギーの不安は軽減しました。
 ドンクに入ってからは、一からやり直そうという強い決意を胸に、ひたむきに修行をしました。アルバイトにも敬語を使い、バックヤードにものを取りに行くときは「1秒でも速く」と走りました。「1年後に見とけよ!」と心の奥で叫び、ひたすらがむしゃらに……。当初は、考えていることを具現化する技術を持っていませんから、誰でもできる清掃などは全力で完璧にこなしていたことを覚えています。


 
 
 
Qドミニックジュランでの2年の勤務を経て、大阪阿倍野のドンクに異動されましたね。
そこでは何をされたのでしょうか。
 

 
年の勤務を経て、大阪阿倍野のドンクに異動されましたね。そこでは何をされたのでしょうか。
 阿倍野店は製造が10人いて、各自決められたポジションで仕事をしていましたから、10パターンの仕事があったと言えます。どのポジションの仕事でも「吉川にはかなわない」と思われないと、人を束ねることはできないと思い、自分で言うのも恥ずかしいのですが、見えない場所で努力しました。基礎体力あってのことですが、人が帰った後にパンをつくり、人が寝ている間に勉強しました。そういう努力の積み重ねによって、ようやく仕事内容が一定ラインに達したのだと思います。


続きはベーカリーパートナー10号でご紹介。

購入はこちら>>




 

吉川 崇 シェフ
ラ・バゲット・ド・パリ ヨシカワ
Prof ile
1971年大阪府生まれ。高校時代、自宅近くのパン屋さんで店長をしていた母親に、アルバイトで翌日の仕込みをしないかと誘われたのが、パンとの出会い。24歳から(株)ドンクでパンづくりに本腰を入れ、2005年には、バゲット及びパンスペシオ担当としてクープ・デュ・モンド日本代表となり、本大会で3位入賞。その他にも各コンテストでの受賞歴は多数。2009年4月、兵庫県西宮市に「La Baguette de Paris YOSHIKAWA」をオープン。