技術とは取り組み続ける信念

2011年01月01日

Interview
Close up Mille Village
渡辺 明生シェフ





技術とは、情報を処理して訓練を積み重ね

己の手で具現化できるまで

取り組み続ける信念のことである


 
 

Qこの世界に入ろうと

考えたきっかけは何ですか?

 

小学生の頃から、工作や料理など「ものづくり」が大好きで、特にお菓子作りに夢中でした。きっかけは、『小学一年生』のような児童雑誌の女子向けコーナーに掲載されていた、お菓子作りの特集でした。その記事を見て自分でお菓子を作って家族に振る舞うと、みんなが「美味しい」と喜んでくれるんです。子供って単純なので、嬉しくて調子に乗ってまた作ると、また喜んでくれて。きっと、まずいお菓子もあったはずなんですね。でも何度作っても、必ず「美味しい」と言ってくれて。そんな両親がそばにいてくれたおかげで、私はこの道に進むことができたのではないかと思います。家族の笑顔が見たくて覚えた「美味しいと喜んでもらえる」ことのうれしさ、楽しさ。今にいたるまで「私」という人間の根幹に脈づき、「私」が生きて行く原動力となっています。

 

 

 

 

「パンとの出会い」は

いつ頃のことでしたか?

 

 僕が高校を卒業する当時は、料理と言えば辻。そこで辻調理師専門学校に「パティシエ志望」で入学しました。職人としての基本を学び、就職先には神戸に本社を構えるドイツ菓子で名高い「ケーニヒスクローネ」を選びました。当初は希望通りパティシエとして勤務していたのですが、後にパンの製造部門が設立され、そこに配属されたのです。これがパンとの出会いですね。ラインでバターロールや、食パン、レザンなどの製造を担当したのですが、正直、パンについては右も左もわからない状態。属にいう「作業」をこなすだけの毎日でした。このケーニヒスクローネには3年間お世話になり、その後ご縁があって25歳で「神戸屋」に勤務し、ここで本格的にパンと向き合うことになったのです。当時の目標は、35歳でパン屋として独立することでした。だから、とにかく10年間頑張ってお金を貯めようと。さらに、融資を受けやすくするにはどうすればいいのか?コンクールの受賞歴のような実績が必要だろうか?など、独立開業するために必要なことは何かを考え始めていました。

 

 

神戸屋での修業時代に

辛かった経験はありますか?

 

辛いと感じたことはありません。むしろ、そう感じる余裕がないほど、がむしゃらにやりましたね。ケーキ屋からの転職だったので、パンに関しては素人同然です。自分より若い子が先輩ですから、一刻も早く追いつかなければいけない。しかも、21歳で子供を授かっていた上、転職してお金もなかったので・・・



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Mille Village
渡辺 明生シェフ
Prof ile
1967年生まれ。
辻調理師学校を卒業後、神戸の洋菓子メーカー「ケーニヒスクローネ」に就職。その後「神戸屋レストラン」で本格的にパンづくりを学ぶ。
2002年のクープ・デュ・モンドでは、日本チームの1人として活躍し、見事優勝 。
他にも第13回カリフォルニアレーズン協会主催「ベーカリー新製品開発コンテスト  鉄人部門  鉄人大賞」を受賞するなど多数の受賞歴を持つ。これまで培ってきた経験・実績を活かし、常に新しくシンプルかつ独創的で環境にもカラダにも優しいパンづくりをコンセプトに2007年7月、大阪府吹田市千里に「ミル・ヴィラージュ」を開店。